『限りなく透明に近いブルー』の作家、村上龍さんが 74 歳で死去
2026年10月24日 06:05
デビュー作『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受け、人々の欲望や孤独、日本社会の閉塞感を描いてきた作家の村上龍(本名:村上龍之助)さんが 17 日、自宅で亡くなった [1]。74 歳で、葬儀は家族で営まれた [1]。
村上さんは 1952 年 2 月、米海軍の基地の街である長崎県佐世保市で、美術教師の父と数学教師の母のもとに生まれ、幼いころは祖父の家で隣の家から流れるジャズを聞いて育った [2]。武蔵野美術大学に在学していた 1976 年、福生の米軍基地の周りで麻薬とセックスに溺れる若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞を続けて受け、この作品は戦後世代の新しい文学として文壇を揺さぶり、100 万部を売るベストセラーになった [1][2]。村上春樹さんとともに時代を代表する作家と目されるようになり、『愛と幻想のファシズム』『69 sixty nine』『五分後の世界』なども代表作に数えられる [2]。
その後も、実際にあった幼児の遺棄事件に着想を得て野間文芸新人賞を受けた『コインロッカー・ベイビーズ』や、中学生たちが学校に行かなくなり日本からの脱出をめざす『希望の国のエクソダス』を世に出した [1]。2000 年には、引きこもりの青年が戦争に魅せられていく『共生虫』で谷崎潤一郎賞を受けた [2]。北朝鮮のゲリラが福岡に攻め込む『半島を出よ』は毎日出版文化賞と野間文芸賞に選ばれ、さまざまな職業を紹介した『13 歳のハローワーク』も広く読まれている [1]。
活動は小説にとどまらず、自作の『トパーズ』や『KYOKO』では映画の監督を務め、1991 年に撮った『トパーズ』は海外で『TOKYO DECADENCE』の題で公開されてイタリアで映画賞を受けたほか、キューバ音楽の CD も手がけた [2]。テレビでは『Ryu's Bar 気ままにいい夜』の司会を担い、第一線の経済人らに話を聞く『カンブリア宮殿』のホスト役としても知られた [1][2]。2000 年からはおよそ 18 年にわたって芥川賞の選考委員を務め、2017 年の第 158 回を最後に退いている [2]。
参考文献
- [1]共同通信(作家の村上龍さん死去、74 歳「限りなく透明に近いブルー」)
- [2]ウィキペディア(村上龍)